手話ッショイ40thに参加しました。

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-ooo-やんま~です

台風の影響からか当初「雨」という予報が気になるほどの「雨」もなく、13:00式典開始時には、城陽市福祉センターには200名以上の人・人・人で会場は埋め尽くされました。来賓のあいさつに続き、基調報告では40周年ふさわしく、これまでの京都や山城地域における、ろうあ者と健聴者の共に歩んできた道のりが語られました。とりわけ、弁士の方が「昭和から手話に携わってこられた方?」の問いかけに手を挙げられなかった私は、思い返せば、いつでも携わることができていたのにと、残念に思いました。と同時にこれまでの険しい道のりを乗り越えてこられた先輩諸兄に頭が下がる思いでした。

後半のアトラクションでは、ろう者と健聴者が歌とダンスでコラボしたグループ名「追い風」のパフォーマンスに会場が一体となり、予定になかったアンコールの声に最後は客席の人も一緒に「世界に一つだけの花」を手話と歌で大合唱しました。そしておなじみのマジックショウも盛り上がり、新型ビンゴゲーム!?では、同時に「全員ビンゴ!」という前代未聞の珍現象まで起こりました。でも、大した混乱もなくみんな揃って後片づけも協力し無事に終了しました。 実行委員や要員のみなさんお疲れ様でした。

 

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手話ッショイ40thに参加しました。」への5件のフィードバック

  1. 新治です。
    早々upありがとうございます。

    茶だんごの主な顔ぶれが総出のOFF会といったていでしたね。

    急ごしらえのポスターも、まぁ、余所さんと並んでもヒケをとらず、このポスターを作るにあたってのストレスの無さがにじみ出て、会のおおらかな性格がよく出た作品となっていました。

    講演では「昭和から活動を・・」という話がありましたが、私ゃぁ昭和63年に高校卒業、そして64年は一瞬ありましたが、すぐに平成。馬鹿げた数年間を過ごします。サークルに初めて見学にやってきたのが、平成11年の暮れ頃だったと記憶しています。
    それより前は、まわりに聴覚障害者が居たわけでもなく、福祉畑で身をならした訳もなく、何の使命感もなく、ただ入ってきました。
    演台の語りとは随分違うな・・・この志の無さが今の私を形作っているのだなと痛感。
    むむうぅ・・・将来の夢は 彫刻家 ですけどね・・・。
    何やってんだろ、僕・・と、沈んだところで、失礼します。

  2. 松井です。いつも何時も有り難うございます。手話ショイも茶だんごのコーナー目立ちました。
    メンバーは少ないですが、フットワークとチームワークの良さは最高ですね。次々行事が続きますがよろしくお願い致します。

  3. お待ちしていました。
    やっと届きましたね(笑)
    次は福島釣り&手話劇ですね、よろしくお願いします。

    • 福祉まつり(福島釣り)&手話劇…のコメント面白いです。≪笑≫
      新治さん、夢は彫刻家だったとは!…今度作品を見せてください!
      松井さん、お疲れさまでした!
      お尋ね
      9月22日(木)法人認可60周年記念大会のお知らせは、サークルに来てましたか?チケットが余っているとのことでしたよ。宇治市文化センター13時から参加費非会員3000円だったかな?
      9月24日(土)全国聴覚言語障碍者福祉研究交流集会プレ企画の案内はもらってますか? こちらは参加費無料 京都市聴言センターにて10時から12時

      • 新治です。

        全国聴覚言語障害者福祉研究交流集会 プレ企画 チラシこれ ↓ ですよね。
        http://www.kyoto-chogen.or.jp/Upload/files/zencho/プレ企画HP用.pdf
        ここにアドレスを貼って、クリックでジャンプできるのかな。
        ところでタイトルが長いので、山城ネットの皆さんは 全聴福研 と省略して呼んでいる様だが、それでも長い。
        最近、新しい略語がメールやLineなどのやりとりの中で増え続けている、という話を何かのコラムで読んだ。「了解しました」を省略して「り」と書くらしい。
        究極や・・・

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